林琴奈さんはすごく負けず嫌いで、小学生のときに練習が厳しいとか友達と遊べないからとかそんな理由じゃなくて、試合に勝てないからやめたいって思った過去があるんだって。
小学生なら遊びたいから辞めたいって思いそうなのに。それって勝てるならやめたくないってことだよね!
そうだよねー。辞めずに続けたことで、いまではバレーボール女子日本代表なんだからすごいよね。
- インターハイ初戦敗退
- 最後の春高では…
- 林琴奈の学歴まとめ
気になるところまで読み飛ばす
林琴奈の出身小学校は市立山階小学校
学校名 | 京都市立山階小学校 |
所在地 | 〒607-8344 京都府京都市山科区西野大手先町21 |
最寄り駅 | 東野駅 |
公式ホームページ | https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=109109 |
林琴奈さんには4歳上のお姉さんがいます。
小学二年生のときにお姉さんの影響でバレーボールを始めました。
バレーボールをするお姉さんを見て「おもしろそう」と思ったことや、当時から背が高かったこともありバレーボールの先生誘われて、なんとなく始めたんだとか。
週6日で練習して土日は練習試合と、バレーボール漬けの毎日を送っていたんだそうですよ。
京都の和(なぎ)V.B.Cというチームに所属していましたが、試合に負ける事も多くバレーボールを辞めたいと思っていたと明かしています。
「バレーボールをやめたい」と思いましたが、「やめたい」と思った理由は練習が厳しかったからでも友達と遊べないからでもなく、試合に勝てないのが嫌だったからです。
それほど強いチームではなかったので、試合に負けるたび「勝てないからもう嫌、やめたい」と言っていました。
当時から、ものすごく負けず嫌いでした。
引用元 林琴奈インタビュー
小学生ながらにバレーボール漬けの毎日で練習も厳しかったのに、辞めたいと思った理由が勝てないからとは驚きです。
ですが、その負けず嫌いの性格が林琴奈さんを強くしたのでしょうね。
林琴奈の出身中学校は金蘭会中学校
学校名 | 金蘭会中学校 |
所在地 | 〒531-0075 大阪府大阪市北区大淀南3丁目3−7 |
最寄り駅 | 福島駅 |
公式ホームページ | https://www.kinran.ed.jp/ |
金蘭会は中高一貫の私立校で、バレーボールの強豪校として知られています。
林琴奈さんは当時からバレーボール選手になりたいと思っていて、
どうせやるなら勝てないチームではなく強いチームでやりたい
といった強い想いから金蘭会中学校に進学しました。
練習はとても厳しく「日本一を目指す」とみんなが常に口にしていたみたいですよ。
自宅から金蘭会中学校までは片道1時間弱かかることもあり、朝6時に自宅を出発して帰ってくるのは22時というハードな生活を送っていて、毎日ヘトヘトだったんだとか。
2年生の時に全国大会で2位で終わってしまいましたが「次は絶対勝とう!」とひたすら練習をした結果、努力が実り3年生のときには優勝。
見事日本一に輝きました。
林琴奈の出身高校は金蘭会高等学校
金蘭会は中高一貫校なので、林琴奈さんは金蘭会高等学校に進学します。
中学校時代は、基礎練習ばかり行っていましたが高校ではほとんどがゲーム形式のチーム練習に変わります。
しかし、練習は厳しいことに変わりはありません。
林琴奈さんは高校一年生から試合に出場し、インターハイや春高バレーなど全国大会も経験。
「負けるのが嫌だ!」その一心でバレーボールをしてきた林琴奈さんですが、本当の意味で勝負の厳しさを知ることになります。
一年生のとき出場した春高バレーでは、先輩たちのフォローもあり、初めてセンターコートに立ち準決勝までいきました。
準決勝まで行くことでさえすごいと思いますが、
負けた悔しさ以上に、ただただ先輩方に申し訳ない
とインタビューで語っていました。
三冠を狙うもインターハイで初戦敗退?
林琴奈さんは高校三年でキャプテンを任されます。
コートに入る三年生は林琴奈さんだけで、あとは全員後輩。
周りからもインターハイ、国体、春高の三冠を取るだろうと言われていて、プレッシャーもきっとすごかったことでしょう。
しかし、インターハイはまさかの初戦敗退。
何もできないままあっさりストレート負けしてしまったんだそう。
情けなさすぎて涙も出ず、先生には呆れられてしまったんだとか。
ですが、その悔しさから一人一人がこのままではダメだと真剣に思えたことで、その後の国体と春高は優勝することができました。
絶対負けたくない最後の春高!
最後の春高では無事に優勝することができました。
しかし、優勝に至るまでにはいろんな苦難があったのです。
林琴奈さんは高校三年生のときにキャプテンを任されます。
しかし、キャプテンとしてチームを引っ張ることが苦手で、周りに積極的に自分の意見を言えずにいました。
リーダータイプではないとわかったうえで、バレーボール部の先生はあえて自分をキャプテンにしたのではないかと林琴奈さんはインタビューで話していました。
特に、キャプテンとしてチームを引っ張る姿勢について、先生は私の弱さを見抜いていました。
もともと人前に立って、みんなをグイグイ引っ張っていくことが苦手で、周りに対しても積極的に意見することができませんでした。
私がリーダータイプではないことを分かった上で「林が変わらなければ勝てない」とキャプテンにしたのだと思います。
当時は「自分には無理だ」と思っていたので、後輩に対して意見しなければならない時も、私が周りに言えないとわかっている同級生たちが代わりに注意してくれました。
私にとっては心強い援軍でしたが、先生からはいつも「人に頼るな!」と叱られました。
引用元 林琴奈インタビュー
林琴奈さんがリーダシップをとるのが苦手だとわかったうえでキャプテンに選んだ先生もすごいですが、それに応えようと頑張る林琴奈さんもすごいですね。
春高ではコートに立った三年生は林琴奈さんだけで、他のメンバーは皆後輩。
試合に出られなくても一生懸命練習に取り組み後輩たちより声を出したり、ゲーム形式の練習では嫌がらずに審判の役を引き受けてくれたり、一番近くでサポートしてくれた同級生の存在は林琴奈さんにとってとても大きなものだったんだそう。
さらには、個性の強い後輩たちをまとめるのに「どうしたらいいんだろう」と悩んでいた時も、いつも一緒に考えてくれたんだとか。
そんないつも支えてくれる同級生のために「負けたくない、絶対勝とう!」と強く思います。
林琴奈さんにとって高校三年生の春高が、バレーボール人生の中で一番「負けたくない」と思った試合
周りからは「華やかな高校生活だよね」と言われるそうですが、振り返ると思い浮かぶのは負けた試合のことばかりで、先生には怒られてばかりで褒められたことなど一度もなく、決して華やかな高校生活ではなかったと林琴奈さんは言います。
しかし、先生から卒業後に
インターハイはお前のせいで負たけど、春高はお前のおかげで勝った
と初めて褒めてもらえたみたいですよ。
林琴奈の出身大学は?
林琴奈さんは高校卒業後、JTマーヴェラスに入団したために大学には進学していません。
VリーグのJTマーヴェラスに入ること決めた理由は、出身地である関西で頑張りたいという気持ちが強くあったことと、合宿で何度もお世話になり、明るくて雰囲気のいいチームといった印象があったからなんだとか。
しかし、一番の決め手は「強いチームでやりたい」と思ったから。
バレーボールで負けるのがいやで辞めたいと思った過去がある林琴奈さんらしい理由ですね。
世界バレー女子2022に出場している選手で、この人だれ?となった人を紹介していきます。お楽しみに!
学歴まとめ
- 出身小学校 京都市立山階小学校
- 出身中学校 金蘭会中学校
- 出身高校 金蘭会高等学校
- 出身大学 大学へは進学せずにJTマーヴェラスに入団
林琴奈さんは、中学生のときからバレーボール選手になりたいと思っていて、バレーボールの強豪校である中高一貫の金蘭会高等学校・中学校に通います。
当時から負けず嫌いで、バレーボールの試合で勝てないから辞めたいと思っていたほどなんだとか。
そんな林琴奈さんですが、いまではバレーボール女子日本代表として活躍し、バレーボール選手になるといった夢を叶えていてすごいですよね。
今後の活躍も応援しましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。