古橋亨梧は韓国人ハーフではなく日本人!生い立ちから両親のこと徹底調査!

古橋亨梧は韓国人ではなく日本人!生い立ちから両親のこと徹底調査!

サッカー日本代表にも選ばれている古橋亨梧選手は、韓国人なのではないかと言われています。

古橋亨梧選手の生い立ちから、両親のことなど徹底調査してまとめていきます。

目次

古橋亨梧は奈良県生駒市出身で純日本人!

結論から申し上げると古橋亨梧選手は、生まれも育ちも日本人です。

日本代表として出場していることから、日本国籍になります。

画像引用元:本人公式Instagram

古橋亨梧(ふるはしきょうご)
本名 古橋 匡梧(ふるはしきょうご)
出身地 奈良県生駒市
生年月日 1995年1月20日
身長 170㎝
体重 63kg
家族構成 父、母、弟

古橋選手は、プロでの登録名を「亨梧」と本名とは変えて登録しました。

名前を変えたのが背中を押したのか、海外移籍、日本代表と大活躍をされていますね!

古橋亨梧が韓国人やハーフと間違われる理由4選

古橋選手が韓国人と間違われる理由は

  • 登録名が本名ではない
  • 顔つきが韓国人っぽい
  • 関西出身は韓国人が多い
  • 髪型が金髪だったりオシャレ

上記の理由があげられます。

登録名が本名ではない

本名の「古橋匡梧」ではなく「古橋亨梧」と漢字を変えて登録しています。

実際にスポーツ選手の中で、帰化選手の方が改名を行う場合が多いです。

帰化選手(きかせんしゅ)とは、自身の持つ国籍を別の国籍に変える帰化を行ったスポーツ選手のこと

引用元Google

なので、本名と登録名が違うことでこのような噂が立ったのかもしれません。

また、使っている漢字も難しいのもあるかもしれません。

顔つきが韓国人っぽい

同じアジア人ですが、よく見ると顔のパーツや骨格に違いがあります。
平面的な顔立ちは共通していますが、日本人と韓国人を見分けるコツは目・眉・頬骨・エラなどと言われています。

韓国人や朝鮮人は、日本人の顔の特徴と比べると

  • 顎骨が突出した人
  • エラが張った人
  • 切れ長の一重まぶたでつり目の人

上記が多く見られるため一番見分けやすいポイントだと言えます。

上記の特徴を古橋亨梧選手で見ていくと、確かに韓国人の特徴に似ているかもしれません。

画像引用元:本人公式Twitter

関西出身は韓国人が多い

大阪が「在日の首都」と呼ばれた時もあるほど、全国の在日韓国・朝鮮人50万人のうち、大阪府には最も多い10万5000人あまりが暮らしています。(2018年末)

地域で見ていくと

1位 大阪市生野区(大阪府)
2位 大阪市東成区(大阪府)
3位 神戸市長田区(兵庫県)

古橋亨梧選手は、奈良県出身で大阪府の隣県になります。

関西圏出身で、上記のような理由から韓国人なのではないかと言われた可能性もありそうですね。

髪型が金髪だったりオシャレ

古橋亨梧選手は、髪型もオシャレで金髪だったり、シンメトリーヘアであったりと韓国風の髪型であることも多く韓国人っぽいと思われてしまうのが可能性としてあります。

画像引用元:本人公式Instagram
が雑引用元:本人公式Instagram

古橋亨梧選手の幼少時代

幼少の頃は、両親の仕事や弟の誕生などもあって親戚や祖父母に預けられることも多かったそうで、古橋選手はいろんな場所を転々としていたといいます。

東京や広島、祖父母のいる兵庫で暮らしたこともあったそうです。


「物心がつく前のことはあまり覚えていないけど、生まれてしばらくは、いろんな人にお世話になったそうです。弟が生まれる時も広島の叔母が1歳の僕を預かってくれました。聞いた話だと、従兄弟のお兄ちゃんがまだ離乳食も始まっていなかった僕を可愛がってくれて、これも、あれもと、いろんなものを食べさせてくれたらしく、一気に1キロくらい太ったとか。危うく肥満児になるところでした(笑)」(古橋亨梧)

画像引用元:REIBOLA
画像引用元:REIBOLA
画像引用元:本人公式Instagram

サッカーとの出会いも生駒市に住み始めてからで、近所の友達やお兄ちゃん達に憧れて、自分から「やりたい!」と思ったと話しています。

画像引用元:毎日新聞

小学1年生から、桜ヶ丘FCに所属しサッカーを始めた古橋亨梧選手。

小さい頃から足が速かったので「スピード」が武器になりました。

「前にボ〜ンとボールを蹴って走り、相手DFより走り勝ってシュートを打つ、みたいなプレースタイル」

古橋亨梧選手は、ひたすらボールを追いかけたそうです。

ぽち

現在もポジションは、FWなのでこの頃から既に頭角を現していたのかもしれませんね。

画像引用元:本人公式Instagram

左側の青いユニフォームが古橋亨梧選手です。

下記は黒と白のユニフォームです。

画像引用元:本人公式Twitter
画像引用元:本人公式Twitter
画像引用元:本人公式Twitter

桜ヶ丘FC(桜ヶ丘フットボールクラブ)
生駒市及び周辺市町村の小学生有志が集い、サッカー競技を通じて体力の向上とスポーツ精神の向上を図るとを目的とする。

目標:『自分で考え、自分たちでやる楽しいサッカー!』

また、古橋亨梧選手は元々体が弱く風邪をひきがちだったので3歳頃から半ば強制的にスイミングスクールに通わされていたそうです。
当時は、平日はスイミング土日はサッカーとスイミングを掛け持ちしていて忙しかったようです。

「特にサッカーをした後は泳ぐのが嫌でいつも泣きながら泳いでいた記憶がある」と本人も話しています。

ただ、忙しくても初めて自分からやり始めたサッカーなので、とにかくメチャメチャ楽しかった記憶しかないと語っています。

「その頃からゴールを決めること以上に、走って競り勝つことに楽しさを感じていました。小学生の時に一度だけ父と弟と3人で、長居スタジアムでセレッソ大阪の試合を観戦したんです。そしたらFW安貞桓選手がダイビングヘッドを決めて…もう、大興奮(笑)。だからと言ってプロになろうと考えたことはなかったけど、とにかくサッカーが楽しくて、いつもサッカーのことを考えていました」(古橋亨梧選手)

中学時代はアスペガス生駒FCに在籍

小学時代は、スイミングスクールとサッカーの掛け持ちで忙しかった古橋亨梧選手。

なので、中学生になるにあたって両親から『どちらも中途半端になるのは良くないから、どちらか選びなさい』と言われたそうです。

古橋選手は、迷わずサッカーを選びました!

所属していたアスペガス生駒FCでフットサルの大会で日本一に輝きました。

高校時代は興国高校でサッカー

興国高校は、大阪府大阪市天王寺区寺田町一丁目にある私立高等学校で男子校になります。

プロサッカー選手の南野拓実選手と同級生であったことが分かっています。

クラスが違ったためあまり会うことは無かったそうですが、近くに目標とする選手がいるとモチベーションにもつながり、また南野拓実選手から常に刺激を受けたとのこと。

この頃、「意地でもついていって、意地でも抜いたる。」という気持ちで、周りに刺激されながら練習を頑張ったそうです。
高校時代は、持ち味のスピードに『ドリブル』という武器を備え、明確にプロを描いて中央大学に進学しました。

画像引用元:Twitter

大学時代は中央大学

奈良県から上京し、寮生活を送りました。

洗濯や掃除、ご飯がない時は、自炊をしていた古橋選手。

勉強+サッカーの練習と本当に忙しい日々を送っていたそうです。

寮生活の中で、家事を本格的にするようになり親のありがたさや大変さを知ったと語っています。

在学中に、全日本大学選抜に選出されました!
また、関東選抜にも3年連続で選ばれています。

当時ゼネラルマネージャーだった中大・佐藤健監督は「最初から戦力になっていた」と当時を振り返り語りました。

画像引用元:Yahoo!ニュース

「走るタイミングが上手く、なおかつ速い。長いパスだとしてもいい位置に落とせる。場があればあいつはどこでもやれる」と佐藤監督は現在、活躍している古橋選手をこのように語りました。

古橋亨梧選手の父親、母親は?

古橋亨梧選手自身が、今まで両親の名前や顔は公表していないため残念ながら分かりませんでした。

ただ兄弟は、古橋亨梧選手が1歳の時に弟が誕生したと言っているので年子か2つ離れている弟が1人いるようです。

古橋亨梧選手の両親は、語ってくれたエピソードで、厳しくも、しっかりと見守って古橋選手の気気持ちをサポートしてくれる両親であることが分かりました。

諦めかけたサッカー人生を救った母

2017年、大学を経て当時J2のFC岐阜でプロデビューを果たした古橋選手でしたが、Jリーグへの壁は高く、一時はサッカーを諦めることも考えたことがあったそうです。

「中央大学に行ったときに、プロになるために行ったと思っていたけど、なかなかプロからの声がかからなくてめちゃくちゃ焦っていた。プロになりたい気持ちと、なれないんじゃないかという気持ちと、なんで呼んでもらえないんだろうという気持ちですごくむしゃくしゃしていた」

「正直なかなか決まらなくて、(複数のJクラブを受けて)最後の方に練習参加をさせてもらったときに、ホテルに帰って気分が悪くなってもどしたりした」と告白。

両親に「もうサッカーは辞めようかな」と伝えたこともあった

引用元ABEMA

なかなか上手くいかずにサッカーを辞めようと思ったこともある古橋選手。

そんな苦悩を知った母から掛けられた言葉は

「今まで頑張ってきたことが無駄になるけど、それでもいいなら辞めたら」(古橋選手の母)

それを聞いた古橋選手は、

「やっぱり最後まで頑張らないとなって思ったし、最後まで頑張ったらFC岐阜さんに声をかけていただいたのでよかった」(古橋亨梧選手)

母の言葉で「ハッ」と気付いたんですね。

また、友人からも「お前は絶対に(サッカー選手に)なれるから諦めるな」と何度も言われて励ましてくれたそうです。

「でも母の言葉が一番響きました。一番近くで見てくれていたので」と、その存在の大きさを実感しつつ「家族だったり友人が助けてくれなかったら今の僕はいないので、本当に周りには感謝しています」(古橋亨梧選手)

小学生の頃から頑張って来た息子を近くで見ていた母親だからこそ言えた言葉だと思います。

ぽち

現在の古橋亨梧選手の活躍を見て、お母さんは嬉しいでしょうね!

幼少期から好きな「レインボーラムネ」

これは奈良県生駒市のイコマ製菓本舗が製造している「レインボーラムネ」
カラフルな見た目が人気を博し、入手困難なことから幻のラムネとしても知られています。

生駒市出身の古橋は「子供の頃、これを食べて育ちました」と語っており幼少期の思い出にテンションが上がりました。

幼少期にディズニーランドで迷子?

古橋亨梧選手本人は覚えてないとのことですが、古橋選手の親が言うには東京ディズニーランドで迷子になったことがあるそうです。

本人は、ディズニーランドに行ったことも覚えてないようで記憶上「初ディズニー」と自身のInstagramに載せています。

古橋亨梧選手は自炊もしっかり自分で用意

現在は、海外のスコティッシュ・プレミアシップ・セルティックFCへ完全移籍し所属しています。

自身で自炊しているようで、その様子をTwitterで「#自炊シリーズ」でアップしています。

画像引用元:本人公式Twitter
画像引用元:本人公式Twitter
画像引用元:本人公式Twitter
画像引用元:本人公式Twitter

タンパク質、野菜とバランス良く準備して食べているのが伝わりますね。
お家でもお母さんがちゃんと料理をしていたから、古橋選手自身もしっかりと自炊するのかなと思いました。

オフの日はサバゲーで楽しむ

画像引用元:本人公式Instagram

チームメイトと一緒にサバゲーをしてきたと本人公式Instagram、Twitterでも報告していました。

どれが古橋選手なのか分かりませんね!
気分転換になりリフレッシュ出来そうですね。

まとめ

今回の記事では、

  • 古橋亨梧選手が韓国人と間違われる理由
  • 古橋亨梧選手の生い立ち&家族のこと

この辺りを調べてまとめてみました。

現在、セルティックFCに所属して活躍している古橋亨梧選手。

もしかしたら、また新しい場所で活躍するかもしれませんね!
今後も古橋亨梧選手の活躍が楽しみですね!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

古橋亨梧は韓国人ではなく日本人!生い立ちから両親のこと徹底調査!

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