W杯まで1カ月となり、日本代表欧州組のキーマンとして三苫薫選手が注目されてるね!
三苫選手は幼少期からサッカーのエリートだったみたいだね!
ただ、三苫選手の学歴もすごいと話題だよ!
三苫選手の高校を中心に学歴を調べてみたよ!
気になるところまで読み飛ばす
三笘薫は川崎市立鷺沼小学校出身
学校名 | 川崎市立鷺沼小学校 |
住所 | 神奈川県川崎市宮前区鷺沼2-1 |
最寄り駅 | 鷺沼駅から徒歩約6分 |
川崎市立鷺沼小学校は、全校生徒900人ものマンモス校です!
三笘薫選手は川崎市立鷺沼小学校の出身です.
三笘選手は2004年4月に小学校に入学し、2010年3月に卒業しています。
三笘薫のサッカー人生は小学生から!
三笘選手は、小学生の時に地元の強豪チームである「さぎぬまSC」に所属していました。
ここでの練習はかなり過酷だったようですが、才能を開花させ、小学5・6年で2大会連続の全日本少年サッカー大会(現在のJFA全日本U-12サッカー選手権大会)に出場しています。
さらに、小5の時には国際サッカー大会でU-12のダノンネーションズカップに出場するなど、もう小学生の段階で、世界レベルで活躍する選手だったことがわかります。
これは、川崎フロンターレU-12の当時の高崎監督に世界を意識してプレーする様に叩き込まれたことが影響しているようです。
三苫選手は、小学生当時から現在も得意とするドリブルをはじめとしたボールテクニックが素晴らしかったんだとか。
そして三苫選手は、小学6年のときに「チームキャプテン」を務めています。
現在の「ウイング」というポジションとは異なる「ボランチ」でプレーをし、チーム全体を見てまとめるという視点を持つ役割をプレーにおいても経験しています。
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三笘薫は川崎市立有馬中学校出身
学校名 | 川崎市立有馬中学校 |
住所 | 神奈川県川崎市宮前区有馬7-7-1 |
最寄り駅 | 鷺沼駅から徒歩約16分 |
川崎市立有馬中学校は、全校生徒800人と現在でもかなり大きな規模の中学校です。
入学式のあと、すぐに体育祭のブロックを決めるという伝統があります。
タレントのベッキーさんも通っていた中学校ですよ!
三笘薫選手は川崎市立有馬中学校の出身です。
三笘選手は2010年4月に中学校に入学し、2013年3月に卒業しています。
成長がとまらない中学時代!
三苫選手は、中学時代、川崎フロンターレU-15に所属していました。
当時のチームの監督である後藤静臣監督は、三笘選手を
「右肩上がりに順調に成長していった」
と話しています。
教えたことをしっかり吸収することが当時からできていたんですね!
中学3年のとき、三苫選手はユースクラブ選手権に出場し、準々決勝ではガンバ大阪ユースとあたります。
惜しくも試合では負けてしまいますが、当時のガンバ大阪ユースの監督が
「ここまで崩されたのはフロンターレが初めてだ」
と三苫薫を絶賛したんだとか。
敵ながらあっぱれ、ということですね。
三笘薫は川崎市立橘高等学校出身
学校名 | 川崎市立橘高等学校 |
住所 | 神奈川県川崎市中原区中丸子562 |
最寄り駅 | 向河原駅から徒歩約11分 |
偏差値 | 44~58 |
川崎市立橘高等学校には普通科と国際科、スポーツ科が設置されています。
三笘薫選手は川崎市立橘高等学校の出身です!
三笘選手は2013年4月に高校に入学し、2016年3月に卒業しています。
三苫選手は、遠征等で休みをとりやすいスポーツ科に所属していたのではないかと推測されます。
高校でも川崎フロンターレU-18に所属!
三苫選手は、小学生のころから所属している川崎フロンターレの下部組織の川崎フロンターレU-18に所属しています!
よって、高校の部活には所属していません。
高校時代からすでに、才能を発揮したプレーをし、右肩上がりに成長をつづけていた三笘選手。
三苫選手のサッカー技術とセンスはプロでこそ輝く!と、当時の監督が川崎フロンターレのトップチームへの昇格の推薦をしました。
しかし、この時点ではプロには進まず、三笘選手は大学進学を選択してきます。
なぜ大学進学を選択したかについては、後述します。
ドリブルのテクニックが話題に!
三笘選手のが高2の頃、2015年の2月に行われた川崎フロンターレとアルビレックス新潟の公開練習試合が行われています。
その際に、三苫選手は現在同様、レベルの高いドリブルを披露しました。
プロサッカー選手になった後も、三苫選手は、高いドリブルのテクニックが話題になっていますよね!
このころから、三苫選手はドリブルで注目されていたのは本当にすごいですよね!
大学進学を決めた理由は?
三苫選手が大学進学を決めた理由は、プロでやっていく自信がなかったからだったんです!
先述の通り、川崎フロンターレU-18からプロ入りの打診を受けた三苫選手。
小学生から続けたサッカーでプロとして活躍できる、というのは三苫選手にとっても夢のようなチャンスだったに違いありません。
ただ、三笘選手はこの打診を断っているんです。
三苫選手は当時を振り返って、
はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。
1学年上の三好康児選手や板倉滉選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。
その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。
引用元:NumberWeb
三笘選手が、プロの打診を断った理由はプロとしてやっていく自信がなかったからだと話していますよね。
三苫選手は誰もが実力を認めるプレーをしていましたが、三笘選手本人はどこか不安を抱えていたことがわかります。
三笘選手の中で、自分自身が周囲の評価に見合うプレーを確立できたと自信をつけるために、多少遠回りしたとしても、大学進学は必要な時間だったのかもしれません。
三笘薫の出身大学は筑波大学体育専門学群
学校名 | 筑波大学 |
学群 | 体育専門学群 |
住所 | 茨城県つくば市天王台1-1-1 |
最寄り駅 | つくば駅から徒歩7分 |
筑波大学の体育会サッカー部は創部125年を誇る歴史深いサッカーチームです。
全日本大学サッカー選手権大会でも優勝経験のある大学サッカー界の強豪校でもあります!
三笘薫選手は筑波大学体育専門学群の出身です。
三笘選手は2016年4月に高校に入学し、2020年3月に卒業しています。
なぜ筑波大学を選んだ?
三苫選手はなぜ筑波大学への進学を決めたのでしょうか?
そこから、三苫選手は筑波大学サッカー部の練習に参加し、その練習中に「高校を卒業したら筑波大学に行くしかない。サッカー部に入るしかない」と感じたんだそう。
そして4年間、しっかりと勉強をしながら、三苫選手自身のことやサッカーを客観的に見つめたいと考えたからだったんだとか。
実際、三苫選手は大学で、将来は指導者になることも視野に入れて勉強をしていたということです。
大学入学前から、三苫選手はしっかりした考えを持って、自分の将来を見据え客観視していたのは本当にすごいことですよね。
そして、意外にも大学では、レギュラーは最初から試合に出られたわけではありません。
さすが強豪校はレベルが高い選手がそろってますね!
結果として、1年後にレギュラー入りを果たしています!
そして、卒業までチームの勝利に貢献し、卒業後川崎フロンターレでプロデビューをしました。
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まとめ
まずは、三苫薫選手の学歴をまとめていきます。
小学校
学校名 | 川崎市立鷺沼小学校 |
卒業年月 | 2010年3月 |
中学校
学校名 | 川崎市立有馬中学校 |
卒業年月 | 2013年3月 |
高校
学校名 | 川崎市立橘高等学校 |
卒業年月 | 2016年3月 |
大学
学校名 | 筑波大学体育専門学群 |
卒業年月 | 2020年3月 |
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三苫薫選手は小学生のころから、出身地である川崎の「川崎フロンターレ」の下部組織で活躍していました。
当時から、現在の三苫選手の代名詞ともいえる「ドリブル」のテクニックはすばらしく、世界を見据えてプレーしていたようです。
高校の時にすでにプロから声がかかっていたのにも関わらず、「プロとしてやっていく自信がなかった」ため、筑波大学への進学を決めています。
大学では、将来を見据え、サッカーの技術を磨きながらも勉強にも励み、卒業後、川崎フロンターレにて誰もが待ち望んだプロデビューを迎えました。
いよいよ始まるW杯での、三苫選手の活躍が待ちきれませんね!