東京オリンピックの日本代表選手に最年少で出場し、現在は東京ヤクルトスワローズに所属している村上宗隆さん。
村上宗隆さんは高校3年生のときのドラフト会議で、1位指名で東京ヤクルトスワローズに入団します。
高校時代は捕手として活躍していましたが、プロになってからは内野手に転向。
史上最年少の22歳でホームランを50本以上達成し話題になっています。
野球選手として活躍している村上宗隆さんですが、高校時代の活躍はどうだったのでしょうか。
調べていきたいと思います。
それでは、ご覧ください。
村上宗隆の出身高校は?
学校名 | 九州学院高等学校 |
所在地 | 〒862-8676 熊本県熊本市中央区大江5丁目2−1 |
最寄り駅 | 交通局前駅 |
公式ホームページ | https://kyugaku.ed.jp/hs/ |
村上宗隆さんの出身高校は、地元熊本県にある九州学院高等学校です。
九州学院高等学校は中高一貫で幼稚園も行っている私立高校になります。
スポーツがとても盛んで、硬式野球部やテニス部、ハンドボール部などは全国大会出場経験を持ち、剣道部や柔道部、陸上部やサッカー部などは全国大会優勝の実績があります。
硬式野球部は2000年に全国高等学校野球選手権熊本大会史上初の3連覇を果たし、甲子園出場は春6回、夏9回とあわせて15回もあり「強豪校」だといえます。
さらに、野球部では今までに20名ほどのプロ野球選手を輩出しているようです。
村上宗隆さんもその中の一人になります。
偏差値は59-62と高くスポーツだけではなく、まさに文武両道の高校ですね。
有名な方ですと、俳優の高良健吾さんも九州学院高等学校を卒業されています。
九州学院高等学校の野球部は上下関係がない?
高校の部活動というと上下関係が厳しいイメージがありますが、九州学院高等学校の野球部は上下関係がありませんでした。
当時監督だった坂井宏安さんの方針で昔からずっと上下関係はなく、グランド整備やトイレ掃除などの下っ端の仕事だと思われるようなことも、レギュラーメンバーである主力の選手や、主将などが積極的に行います。
入ったばかりの一年生はわからないことだらけなのでわかっている上級者がやればいい。一番いやなことをできるように。
といった当時監督だった坂井宏安さんの想いがありました。
そのため、一年生が三年生に変に気を遣うことなくのびのびと野球をやれる雰囲気で、思い切り野球に打ち込めるいい環境だったんだそうです。
下級生はそんな上級生たちを見ながら活動しているので、自分たちが上級生になったときも同じように進んでグランド整備などをやるようになります。
高校時代の成績は?
九州学院高等学校の野球部は、実力があれば一年生でもレギュラーになり活躍することができます。
そのため、村上宗隆さんは入学後すぐレギュラー選手に選ばれ4番を任されました。
初めて村上宗隆さんの練習をみた、当時監督だった坂井宏安さんは
「何だ、こいつ…。これは4番だ。お前らちょっとどけ、こいつが4番だ」
「トスバッティングが抜群にうまかった。振りに無駄が全くなく、力を抜きながらも軸がしっかりしている」
「どうしてこれだけの選手が全日本に入っていないのか?」
引用元 サンスポ
と衝撃を受けたと話しています。
村上宗隆さんは身体が大きいのですが、パワーヒッターのような力任せのバッティングではなく、身体全体を使ったしなやかなバッティングで、当時から他の選手とは違った天才的な面を持っていたそうです。
しかし、四打数無安打で一回戦敗退といった結果でした。
高校二年生の夏は熊本大会で決勝までいきますが、秀岳館高等学校に2-13で敗れて準優勝。
そして、村上宗隆さんは高校三年生のときに主将を務めます。
高校生最後の夏の熊本大会で、再度秀岳館高等学校と対戦しますが惜しくも1-3で敗れてしまい準優勝。
高校二年生と高校三年生の2年連続甲子園出場はできませんでした。
どうやら秀岳館高等学校の壁が厚かったようですね。
そんな村上宗隆さんですが、高校時代に通算52本塁打で歴代20位といった成績を残しています。
順位 | 氏名 | ホームラン数 |
1 | 清宮幸太郎 | 111 |
2 | 山本大貴 | 107 |
3 | 黒瀬健太 | 97 |
4 | 伊藤諒介 | 94 |
5 | 中田翔 | 87 |
6 | 中村剛也 | 83 |
7 | 岡本和真 | 73 |
8 | 高橋周平 | 71 |
9 | 城島健司 | 70 |
10 | 平田良介 | 70 |
11 | 筒香嘉智 | 69 |
12 | 大田泰示 | 65 |
13 | 安田尚憲 | 65 |
14 | 清原和博 | 64 |
15 | 今宮健太 | 62 |
16 | 松井秀喜 | 60 |
17 | 中村晃 | 60 |
18 | 大谷翔平 | 56 |
19 | 佐々木麟太郎 | 56 |
20 | 村上宗隆 | 52 |
その並外れた長打力から、一部の人から「肥後のベーブ・ルース」と言われるほどでした。
しかし、当時同級生の清宮幸太郎さんの活躍が飛び抜けてすごかったために、村上宗隆さんは目立つ存在ではなかったようです。
村上宗隆の甲子園出場回数にともなう監督との熱いエピソード
村上宗隆さんは2015年の高校一年生の夏に甲子園に出場していますが、甲子園に出場したのはこの1度のみになります。
高校二年生、高校三年生と2年連続熊本県大会で秀岳館高等学校と対決しますが、決勝で敗れてしまい甲子園出場は叶いませんでした。
地方予選の決勝に進むこと自体すごいですが、準優勝だと甲子園に出場できないため悔しいですよね。
甲子園まであと一歩のところで負けてしまい泣いている下級生たちに村上宗隆さんは、
「負けたんは、オレたち3年生がだらしなかったからたい! お前らは全員よく闘ってくれたってね。」
それで、ヤツは涙ひとつ流さずに、大喜びしてる向こうの選手たちを指差して、
「あれは、来年のお前たちの姿だ。よー見とけ!」
引用元 NumberWeb
と声をかけたのです。
「打倒秀岳館!」は叶いませんでしたが、涙ひとつ見せずに後輩たちの頑張りを讃えるなんてすごいですよね。
なかなかできることではないと思います。
しかし、部員全員がロッカールームに戻って一人になった時、坂井宏安前監督の前で号泣するのです。
「坂井先生をもう一度甲子園に連れて行きたかったですー!」って、
最後の最後でわーわー、もう、大号泣でしたよ……
まあ、なんというか、熱いヤツでしてね、ああ見えて」
引用元 NumberWeb
いい話ですよね。
坂井宏安前監督との信頼関係があるからこそ、村上宗隆さんは監督の前だけでは素直でいられたのだと思うと、甲子園出場は一度しか叶いませんでしたが、いい監督に出会えて良かったなと思います。
まとめ
今回、村上宗隆さんの出身高校や高校時代の成績などについて調べてみました。
甲子園出場経験は一度しかないものの、天才的なトスバッティングと監督に絶賛されたり、高校時代に通算ホームラン52本の記録を持っていて「肥後のベーブ・ルース」と言われ注目されていました。
今後、東京ヤクルトスワローズでの活躍も楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。