サッカー日本代表のエースとして大活躍している南野拓実選手。
南野拓実選手の拓実という名前は『自分で開拓して実る』という意味をこめて両親がつけたそうです。
そんな南野拓実選手はどんな幼少期を過ごし、何処の中学、高校に行ったのでしょうか?
小学校から大学までの学歴を調べてみましたので、ぜひご覧ください!
それでは早速見てみましょう!
南野拓実の学歴まとめ
世界代表を舞台に活躍しているサッカー選手、南野さんの学歴はこちら。
南の選手の学歴 | |
小学校 | 泉佐野市立長坂小学校 |
中学校 | 泉佐野市立第三中学校 |
高校 | 興國高等学校 |
南野選手は高校卒業後、大学進学はしていません。
高校を卒業した年にセレッソ大阪のトップチームとして活躍しています。
~サッカーの始まり~
地元の小学校、中学校卒業後、強豪校の興國高等学校へ進学されました。
南野さんの現在に至るまでのサッカー人生とはどんなものなのでしょうか?
詳しく見て行きましょう!
南野拓実は泉佐野市立長坂小学校出身
南野さんの通っていた小学校は泉佐野市立長坂小学校です。
小学生時代1
南野さんとサッカーとの出会いは3歳の時にワールドカップ・フランス大会を見たことがきっかけで幼稚園入園後、本格的にサッカー教室に通い始めたそう。
幼稚園時代から小学校卒業までの8年間はゼッセル熊取に所属し、同じチームには室屋成さんがいたようです。
小学生時代2
小学校3年生からゼッセル熊取と併用し週2回、サッカー塾の『クーバー・コーチング・サッカースクール』に通い、更にサッカー漬けの日々を過ごされました。
小学生時代3
当時、南野選手が憧れていた人はブラジル代表のFWロナウド選手で、ビデオをずっと見ていたというエピソードがあります。
他の子たちは途中で飽きてしまっても、南野選手だけはじっとビデオに集中していたのだとか。
小学生時代4
小学校時代から負けず嫌いの性格だったようで、交代でベンチに座らされると『なぜ交代するのか?』とコーチに抗議するほどだったとか。
当時のことをインタビュー記者も話されています。
記事の冒頭で、トレンチャード記者は、「タクミ・ミナミノは勝者だ。あるいは、少なくとも、勝利への計り知れない願望を持つ。しばしば、彼はどれだけ負けるのが嫌いか口にしている」と伝えた。
ある試合で、途中交代を命じられた南野は、「もっとプレーさせてください。僕はサッカーが大好きなんです」と直談判したという。このエピソードを踏まえ、トレンチャード記者は、「ミナミノは幼少期から独特だった」と評している。
ライブドアnewsより引用
また、小学校時代のエピソードをインタビューで話されていました。
「当時は週5日、月曜日と水曜日以外、ほぼ毎日サッカーをしていましたね。もちろん、クラブやスクールがない日も家の近所で友達や兄とボールを蹴っていました。
それでも“今日は練習に行くのが嫌だな……”と思うことはまったくなくて。毎日、“あー、学校行くより、サッカー行きたい!”みたいな感じでした」
コクリコより引用
残念ながらゼッセル熊取FCに所属していた時は全国大会を経験することは出来なかったようですが、南野選手は小学校の時から既にサッカーに対する強い思いがあったとありますよね。
この頃から将来の自分の姿を思い描いていたのかもしれません。
南野拓実は泉佐野市立第三中学校出身
南野選手が通っていた中学校は泉佐野市立第三中学校です。
中学時代1
ゼッセル熊取FCとクーバーコーチングでサッカー漬けの日々を送っていた南野選手がは、沢山のオファーを受け中学入学と共にセレッソ大阪U-15へ入団します。
沢山のJアカデミーからスカウトを受けていたようですが、南野選手は迷うことなくセレッソ大阪U-15を選んだそうです。
中学生になっても南野選手の進化は止まることなく2009年クラブユースサッカー選手権大会では得点王に、U-15日本代表に選出など活躍の幅を更に広げました。
中学時代2
中学時代初期は周りと比べ身長が低めだった南野選手でしたが、勝ち気な性格は人一倍あったそうです。
『絶対に自分がゴールを決める!!』という思いが強すぎるあまり、チームにパスをしない程だったとか。
勝ち気な性格と共に、中学2年生の時から身長もグッと伸び更にサッカーは上達しました。
当時一緒のチームに所属していた秋山大地選手も話していたようです。
試合になると得点を決めるポジションにいたとのことで、得点王になるのも納得です。
南野拓実は興國高等学校出身
南野選手が通っていた高校は興國高等学校です。
南野選手は興國高等学校のアスリートアドバンコースに入学しました。
プログラム1 海外研修
プログラム2 AAトライアスロン
プログラム3 一流の指導陣によるサポートプログラム
プログラム4 大阪体育大学との連携
プログラム5 トップアスリート講和
プログラム6 AAアプリの導入
セレッソ大阪の道を決断
スポーツ選手がプロを目指すために沢山の優秀選手が集まると言われている興國高等学校ですが、南野選手はサッカー部には所属せず、セレッソ大阪のユースでプレーしています。
高校サッカーに憧れはあったようですが、ユースでプレーする決断をしたようです。
セレッソ大阪U-18に昇格した南野選手は高校1年生でレギュラーを掴み、プリンスリーグ関西1部第1節神戸科学技術戦でいきりハットトリックに達成。
勝利に大きく貢献すると、その後も負けずと優勝を重ねていきました。
2011年プレミアリーグウエストで得点ランキング4位の9得点を達成。
第19回Jリーグユース選手権大会では、8試合で13得点を挙げて、得点王を取得しました!
高校3年生で2種登録へ
高校3年生ではJリーグ公式戦出場可能なユース選手として2種登録になります。
ポジションはFW、背番号は34番でした。
大宮アルディージャ戦で公式戦デビューし、チームのJ1残留がかかった試合ではフル出場も果たしました。
南野拓実と古橋亨梧は同級性
興國高等学校には同学年に古橋亨梧選手もいました。
2人は同じクラスになることは無かったようですが、体育の授業や学校の行事などでお互いの顔は知っていたそうです。
古橋は「クラスが違って、体育の授業で一緒だったり、学校の行事でたまに会うぐらいで、あまり話したことはなかった。でも、近くにいて目標とする選手がいたのでモチベーションがすごくあった」と振り返った。
日刊スポーツより引用
南野&古橋の恩師喜ぶ「2人が一緒にプレーするとは…本当にヤバイです」
当時から興国高サッカー部を率いる内野智章監督(42)は、古橋はもちろん、南野には授業で指導経験があった。この日、テレビ観戦で2人の活躍を喜んだ。南野が背番号10、古橋が11で一緒にプレーするとは…本当にヤバイですヤバイです」と第一声。
日刊スポーツより引用
「古橋の立場でいえば、高校時代からは南野との差は縮まったのかもしれないけど、まだまだ」とした上で「U-24日本代表戦での古橋は、仲間を使う側のプレーが多かったが、今日はゴール前で使われる位置でプレーしていた。それだと古橋の特長が出ますね」と恩師らしい分析をした。
高校時代はAKBファン?
高校時代から既に得点王だった南野選手。
南野選手の素晴らしいゴールシーンがありました。
そんな南野選手が通っていた興國高等学校ですが体育祭の恒例行事が面白いんですよ。
体育祭は毎年京セラドームで行っているそうです。
3年生体育祭で男子は上半身裸で行われる学年演技『よさこい』を披露。
最後に「エッサッサ」で締めくくるのが恒例とのこと。
南野選手がよさこいを踊っている姿は貴重ですよね。
ちなみに南野選手は高校時代あまり勉強はしていなかったとのこと。
AKB48のファンだったと当時のコーチが明かしていたそう。
南野選手でもいたって普通の男子高校生徒の一面が見れると何だかほほえましいですよね。
南野選手は高校OBとしてインタビューされていました。
南野拓実はどこの大学?
南野選手は大学進学はしていません。
高校卒業を機にトップチームに昇格しています。
高校卒業後も南野選手の活躍は止まりません。
ルーキーイヤーから主力選手として活躍し、同年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。
2022年現在ASモナコへの完全移籍が決まりました。
背番号は『18』です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
南野選手の小学生時代から現在に至るまでの学歴を解説してきました。
幼少期から続いている自他に認める『勝ち気な性格』の南野選手。
この先もずっと上を目指し努力していくのでしょう。
益々の活躍が楽しみです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。