2022年9月8日エリザベス女王が亡くなり、チャールズ皇太子がイギリスの新国王となり「チャールズ3世」に!
チャールズ3世の妻、カミラ王妃とは不倫の末の再婚だって
最初の妻ダイアナ元妃を苦しめた女性としてイギリス国民からも不人気でしたが少しずつ努力を重ねて在位70年式典ではエリザベス女王にも「王妃になる」と認めさせったんだ
- 【写真】カミラ王妃の若い頃
- カミラ夫人の結婚歴
- カミラ夫人の子供は2人
気になるところまで読み飛ばす
【若い頃の写真】カミラ王妃は良家の娘として誕生
1947年7月17日に父ブルースと母ロザリンドの第1子としてロンドンで生まれました。
出生名はカミラ・ローズマリー・シャンド(Camilla Rosemary Shand)
カミラ王妃には、1949年生まれの妹アナベルと1951年生まれの弟マークがいます。
弟のマークは、2014年に62歳で亡くなっています。
カミラ夫人はイギリスのイーストサセックスとサウスケンジントンで育ち、イギリス、スイス、フランスで教育を受けました。
カミラ王妃が5歳の時からサセックスのダンブレルズ・スクール
10歳からはロンドンの名門女学校クイーンズ・ゲート・スクール
16歳からはスイスとフランスにあるフィニッシングスクール(いわゆる“花嫁修業”のための学校)へ
友人からは「ミラ」の愛称で呼ばれ、活発で奔放な性格だったそうです。
1965年に社交界デビューした18歳のカミラ夫人です。
チャールズ皇太子(チャールズ3世)との出会い
カミラ夫人は社交界の人気者アンドリュー・パーカー・ボウルズと付き合っていました。
1972年共通の友人ルチア・サンタ・クルズに紹介されてチャールズ皇太子と出会います。
当時カミラ夫人は24歳、チャールズ皇太子は22歳です。
チャールズ皇太子はポロと狩猟という共通の趣味をもつカミラを深く愛するようになりますが、20代前半と若く社交界でもチャールズ遠征は人気者でした。
カミラ夫人が皇太子に対して怖気づいたり媚びたりしなかったことから、彼はすぐ惹かれたと言われています。
カミラ夫人と恋仲のアンドリューは、金もコネもある人気者で複数の女性との浮気癖があり、2人は数年間くっついたり離れたりを繰り返していました。
その間に、チャールズ皇太子とカミラ夫人も機会があるごとに頻繁に会い一緒に過ごしました。
アンドリューは、チャールズ皇太子の妹アン王女とも一時期付き合っていたと言われています。
イギリス王室にも顔がきく陸軍将校だったアンドリューとすでに恋仲であるカミラ夫人との結婚は王室から反対されました。
また、2人は王室の暗黙のルールで結婚できないのは承知していたようです。
王室の暗黙のルールで2人は結婚できなかった理由
チャールズ皇太子の正妻になる人の絶対条件は
- プロテスタントであること
- 処女であること
- 名家出身であること
カミラ夫人の母方の祖父は男爵ではあったが、将来の女王として考慮されるためには貴族的身分が不十分であったと言われています。
また、王室に嫁ぐ上で「処女であること」と性差別的な条件が根強く残っていたためです。
カミラ夫人は、他の男性とお付き合いしており暗黙のルールには当てはまりませんでした。
カミラ夫人はチャールズ皇太子とは違う男性と結婚
チャールズ皇太子は1973年初め、英国海軍のフリゲート艦に乗船して国を離れる予定でした。
しかし、自分が帰国するまでの8カ月待っていてほしいとカミラ夫人には伝えず、自分が抱いていた激しい気持ちを隠して海外に遠征してしまいます。
そんなチャールズ皇太子の本心を知る由もなく、彼の不在をいいことに、カミラ夫人は長年の恋人だったアンドリュー・パーカー・ボウルズと復縁し1973年3月にプロポーズされ結婚してしまいます。
しかし、結婚後もチャールズ皇太子との関係を続けました。(チャールズ皇太子は1981年ダイアナ妃と結婚)
チャールズ皇太子とカミラ夫人の関係は、ダイアナが11歳の頃の1972年から始まりお互いが結婚してからも愛人関係として続きました。
チャールズ皇太子が結婚してからも2人の不倫関係は続けた
チャールズ皇太子は、ダイアナ妃と1980年に交際を始め、翌年1981年に結婚します。
実は、挙式の直前にもカミラ夫人とのデートが報道されています。
これから結婚する夫が、元カノと会っていたら誰でも嫌な気持ちになると思う…
そして、1982年6月21日にウィリアム王子、1984年9月15日にヘンリー王子が生まれました。
チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚は、世紀の結婚と言われていましたが、カミラ&チャールズの関係そのものは完全には解消されておらず、4年ほどたった頃から再び火がついたと報じられています。
当時、皇太子だったチャールズ国王が現在の妻であるカミラ王妃に「君の下着の中で暮らしたい」とささやく不倫音声が流出したのです。
ダイアナ元妃も結婚してからカミラ夫人の存在には気付き、チャールズ皇太子の不倫にずっと心を痛めていたと言われています。
チャールズ国王公認の伝記で、チャールズ国王はダイアナ元妃に対して「私は今までダイアナを愛したことは一度もない」と告白しています。
結婚は世継ぎのために、父に無理強いされたとも書かれていました。
チャールズ皇太子とダイアナ妃が別居し離婚
2人の息子に恵まれたチャールズ皇太子とダイアナ妃ですが、ヘンリー王子を出産した8年後に別居を始めます。
別居前の写真ですが2人には距離があるように感じますね。
別居以来、ダイアナ妃に対するエリザベス女王の態度も一変し、王室のやっかい者扱いをするようになりました。
離婚はエリザベス女王がチャールズ皇太子に勧めたと言われています。
ダイアナ妃は、2人の子供の母として最後まで戦うつもりで離婚までしたくなかったそうです。
世界中で注目されたロイヤルカップルは15年で結婚生活に幕を閉じました。
チャールズ皇太子の離婚に関して、エリザベス女王は冷たくこう言い放ったと伝えられています。
「崩壊した家庭に育った娘を王室に受け入れました。その結果がこれです」
カミラ夫人とダイアナ元妃は直接対峙していた!
1989年ダイアナ元妃はパーティで対面したカミラ夫人に
「私はあなたとチャールズの間で、何が起きてるのかちゃんと知ってるのよ。私は昨日産まれた訳じゃないんだから」
と言ったところ、カミラは
「あなたは欲しいものを何だって手に入れてるわ。世界中の男性を虜にして、美しい子供も2人授かった。これ以上何が欲しいの?」
と返したという。すると、ダイアナ元妃は
「私の夫よ。邪魔をして申し訳なく思うわ。お二人にとっては地獄でしょうね。でも、私は何が起きてるかちゃんと知っているのよ。バカにしないでちょうだい」
このようなやりとりがあったと言われています。
プロポーズされて結婚した相手に、ずっと愛人関係の女性がいたら嫌ですよね。
個人的にチャールズ皇太子とカミラ夫人が最初から王室のルールを気にせず結婚していたら、こんなに複雑にならなかったのではと思ってしまいます。
カミラ夫人も夫アンドリューと離婚
1994年チャールズ皇太子は「BBC」のインタビューでカミラ夫人のことを愛人と呼び、不倫の事実を認めました。
翌年1995年にカミラ夫人と夫アンドリューは、正式に離婚を発表します。
2年間に渡って別居を続けてきた2人は「共通する興味がほとんど無い」ことを理由に結婚生活に終止符を打つことを決意し離婚しました。
チャールズ国王とカミラ夫人が再婚
1996年にチャールズ皇太子とダイアナ元妃の離婚が成立し、翌年1997年にはパリ市内で不慮の事故によりダイアナ元妃は亡くなってしまいます。
ダイアナが亡くなった後、チャールズ皇太子とカミラ夫人は公然と交際するようになり、行事にも二人で出席するようになりました。
2005年チャールズ皇太子とカミラ夫人は再婚します。
2人が出会ってから30年以上の歳月が経っていました。
エリザベス女王は、カミラ夫人のことを「あの意地悪な女」と呼んだこともあり2人の結婚式には参加しませんでした。
チャールズ皇太子の妻となったカミラ夫人ですが、「プリンセス・オブ・ウェールズ」 の称号はダイアナ元妃のものとみなされていたため、カミラ夫人は『コーンウォール公爵夫人』と呼ばれるようになります。
カミラ夫人には前夫との間に子供が2人いる
前夫アンドリュー・パーカー=ボウルズとの間に、長男トム・パーカー=ボウルズと長女ローラ・ロープスがいます。
実はヘンリー王子夫妻の結婚式にも招待され話題となりました。
長男トム・パーカー=ボウルズ
長男トム・パーカー=ボウルズは、イベントコンシェルジュやPRの仕事していましたが、料理評論家・コラムニストへ転身しました。
また、2005年4月にチャールズ皇太子とカミラ夫人が再婚して5ヶ月後に、トムは2005年9月に5年付き合ったファッションエディターのサラ・バイスと結婚しました。
約450名のゲストを招いてのオックスフォードシャーで挙げた結婚式には、ミック・ジャガーやヒュー・グラントなど名だたる著名人も出席しました。
2人の間には、娘ローラと息子フレディがいますが約12年間の結婚生活で2018年1月に離婚しています。
長女ローラ・ロープス(旧姓パーカー=ボウルズ)
長女ローラ・ロープスは兄のトムと一緒にウィルトシャーで育ち、ドーセット州の寄宿学校などを経て、オックスフォード・ブルックス大学に進学しました。
美術史とマーケティングを専攻しています。
ローラは、2006年5月貴族出身で元カルバン・クラインの下着モデル、現在は公認会計士のハリー・ロープスと結婚しました。
ウィルトシャーの教会で結婚式を挙げ、ウィリアム皇太子やヘンリー王子、当時ウィリアム皇太子と交際していたキャサリン皇太子妃も出席しました。
2008年1月に長女エリザ、2009年12月には双子の男の子ガス&ルイスが誕生しました。
2011年にウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃の結婚式で、3歳だった長女エリザがブライズメイドを務めました。
エリザベス女王の最後の願い
このような経緯があり、チャールズ皇太子とカミラ夫人の不人気や悪評は未だに根強い。
ただ少しずつ変化している国民感情に、生前エリザベス女王は、こんな言葉を残しました。
「私が皆さんから受けたのと同じ支援をチャールズと妻のカミラに与えてくださると存じます。その時が来たら カミラが忠実な奉仕を続けるよう“王妃”として知られてほしいと心から願っています」(2022年2月 在位70年のメッセージより)
カミラ王妃がチャールズ国王と再婚した際、結婚後も「妃」の呼称を使わず「夫人」で通すと公言していたことを受けての発言だと思われます。
結婚してからカミラ王妃はずいぶん気を使って、目立たないように、控えめに粛々と一生懸命公務をしてきました。
エリザベス女王にも認められるようになりました。
国民の中にはまだカミラ夫人に対して抵抗がありますが「女王がおっしゃるのだから」ということで、受け入れる人も増えてきています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
カミラ夫人の若い頃からを調べてまとめてみました。
チャールズ皇太子と長い間、不倫関係で愛人を続け再婚まで果たしたカミラ夫人。
現在は、「カミラ王妃」になりました。
努力を重ねて来てエリザベス女王に認められましたが…
それでも、まだイギリス国内ではチャールズ皇太子が国王になったこと、カミラ夫人が王妃になったことに抵抗がある人もいるようです。
今後の王室も気になりますね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。